織田信長は奔放で遊び回っていたイメージがありませんか?
実はそんなイメージとは違い、若い頃は真面目に稽古をしていたようです。
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織田信長の青年時代は真面目な性格だった?
織田信長が天下統一まであと一歩、というところまで上り詰めることができたことは、青年時代に稽古(勉強や運動など)をかなり頑張ったことが一つの要因かもしれません。
織田信長 稽古の様子
織田信長は16歳から18歳ころまで、特にこれといった遊びにふけることもなく、馬術を朝夕に稽古しています。
3月から9月までは川で水練(水泳)をし、泳ぎは上手だったそうです。
稽古はかなり真面目だった様子
織田信長は市川大介に弓の稽古、橋本一巴(いっぱ)を師匠として鉄砲の稽古、平田三位(さんみ)に絶えず兵法(ひょうほう:戦う方法)を習っていたようです。
かなり熱心に稽古を受けていたと考えられ、将来に備えて着々と準備をしていたことが想像できます。
織田信長の性格が破天荒というイメージは?
織田信長はその一方、青年時代は「大バカもの」と言われていました。
町中で食べ歩き
織田信長は町中を歩きながら人目もはばからず栗や柿、瓜などを食べ歩き、餅も立ったまま食べていたそうです。
今では「食べ歩き」というのは一般的ですが、その当時は家の中で座って食べることがマナーだったので、織田信長の食べ歩きは行儀が悪いものでした。
人に寄りかかって歩く姿
さらに、人に寄りかかり、いつも人の肩にぶらさがって歩いていたとのこと。
支えてもらいながら歩く姿は、「ちゃんと歩くこともできないのか!?」と出会う人を驚かせていたことでしょう。
私たちがイメージする「武士」とはかけはなれていますね。
織田信長の青年時代まとめ
世間には大バカものとして見られていたものの、朝夕は馬術の稽古をし、兵法の稽古も絶えず行っていた織田信長は、もしかしたら「俺はたいしたことのない人物だ」と周囲に思わせるためにわざと奇抜な行動や格好をしていたのかもしれません。
「敵を欺くにはまず味方から」という言葉がありますが、織田信長はそのような青年時代を送っていた可能性がありますね。
参考資料:信長公記【新訂版】