織田信長は戦国時代を代表する武将ですが、実は戦国時代も将軍はずっといました。
足利尊氏(あしかがたかうじ)が1336年に開いた室町幕府が、織田信長が活躍した16世紀後半も続いていたのです。
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織田信長が活躍した頃の幕府の役目は?
実は、織田信長が室町幕府を崩壊させた人物です。
あまり室町幕府の権限がなかったのであまり有名な話ではないかもしれませんが、織田信長が幕府を倒したと考えてよいかもしれません。
室町幕府は何もしていなかった?
室町幕府は京に本拠地をもっていましたので、各地域を治めるには人を派遣する必要がありました。
これが守護(しゅご)です。
守護は室町幕府の地方官で、京と地方を行ったり来たりすることが多い役人さんでした。
守護が地方を留守にしていたとき、その留守を守っていたのが「守護代」です。
室町幕府は将軍家の後継者争いや飢饉(ききん:食べ物が不作で飢えること)などで地方の統治どころではなくなってしまい、守護や守護代を放っておくことが多かったようです。
守護や守護代、実力者が地域を治めるように
室町幕府が混乱していても地方は食べていかなければなりません。
幕府が当てに出来ないなら、自分たちで地域を統治していこうという動きが活発になります。
これが「守護大名」「戦国大名」の誕生です。
織田信長は戦国大名だった
戦国武将で有名な方は、みな戦国大名か守護大名のどちらかでした。
織田信長は戦国大名の血筋だったのです。
守護大名とは?
室町幕府から守護に任命され、幕府の権威に依存していました。
京と領地をいったり来たりの生活なので、守護代を領地に置いていました。
室町幕府の法にのっとり統治をしていましたが、領地で有力な領主や武士を家臣にすることは難しかったようです。
守護がなぜ大名となり領地を統治するようになったかというと、守護大名の中でも世襲制がとられるようになったことと、少しずつ大きな権限を幕府から与えられるようになったからです。
有名な武将で守護大名出身は、今川氏、武田氏、島津氏などです。
戦国大名とは?
一方、戦国大名は元々守護の留守を守っていた守護代や、国人(領国で勢力がある領主や武士)が守護を倒し地方を統治するようになった武将のことです。
元々、地元にいた武将が守護の代わりに領地を統治していたため、周囲の協力を得易く守護を倒すことができたと考えられます。
戦国大名の中で元々守護代だった有名な武将は、織田氏、上杉氏、朝倉氏などです。
室町幕府が唯一行っていたこと
戦国大名は朝廷や幕府とほぼ関係なく成り上がった武将ですが、領地を詩は愛するには武力だけでなく権力の正当性を示す何かが必要でした。
そのため、何らかの官位を朝廷から任命される必要がありましたが、朝廷は武士に対して官位を勝手に与えられないルールが存在していたのです。
室町幕府の将軍が認めた、という証拠が同時に必要だったのですね。
この官位をもらい、証明をしてもらうことにお礼(お金)が必要で、この収入で室町幕府はなんとか存続していたようです。
参考資料:戦国地図帳