織田信長が天下統一への足がかりとなった「桶狭間の戦い」などの合戦では、戦の役職が細かく決まっていました。
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織田信長は何度も戦をしかけていますが、一般的な戦国時代の合戦時に当てられた役職の例と、出陣の作法をお伝えします。
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織田信長以外にも「大将」がつく戦国時代の役職
大将の中には、「旗大将」という役職も?
織田信長が活躍した戦国時代の役職には何でも「大将」がついていました。
総大将は戦国大名がその座につくことが普通ですが、場合によっては戦が巧みな重臣が総大将として合戦を指揮する立場になったこともあります。
この総大将を補佐するのが「副大将」で、総大将の代わりに指揮をとることもあったので「副将」とも呼ばれています。
同じく総大将を補佐するのが「脇大将」で、重臣がこの座についています。
その配下には「侍大将」が位置し、武者を統率する現場の指揮官が「侍大将」です。
武者以外の足軽を束ねたのは「足軽大将」で、弓組や鉄砲組、槍組などを統率しています。
また、意外な役職として軍旗を管理した「旗大将」という役職もあり、そのことから合戦場においての軍旗は非常に大事なものだったことが分かりますね。
出陣式は厳かなセレモニー
戦国時代の出陣式は非常に重要な儀式であり、出陣式がうまくいくかどうかで兵の士気は大いに変化があったようです。
そのため、易(えき:占いのようなもの)に通じる軍師が儀式を取り仕切りました。
式では、まず総大将が酒を3度ついでもらい飲み干す「三献の儀」が行われました。
三献の儀の肴には、一杯目には勝栗、二杯目には打ち鮑(あわび)、三杯目には昆布が使われました。
「打って勝って喜ぶ」という縁起をかついでのものでした。
三献の儀式が終わると総大将に兜や鎧を着せ、右手に軍扇をもち左手に弓をもって兵達の前に立ちます。
そこで「えい、えい」と掛け声をかけ、兵たちが「おう!」と応える、という流れを3回繰り返します。
威勢が良ければ士気はあがり、戦に勝てると信じられていました。
まとめ
織田信長は当時の成人日本人男性の平均身長155cmと比較して10cmほど高い165cm程度と言われていますので、出陣式ではさまになっていたことでしょう。
声も高くよく通る声だった織田信長の出陣式で、多くの兵の士気が上がったものと想像できます。
このように戦を左右する出陣式という儀式は、今の私達が考えるよりも重要だったことが伺えますね。