織田信長の名言

織田信長の名言【絶対は絶対にない】はいつ使われたのか?

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織田信長

織田信長の名言はいろいろと取り上げられることが多いですが、特に「絶対は絶対にない」という名言は私も大好きな織田信長名言の一つです。

参考記事:織田信長の名言から考える人生が前向きになる3つのこと

ただ、いつどこで使われた言葉なのか、どんな背景で織田信長が使った名言なのか、引用元がはっきりしません。

織田信長が「絶対は絶対にない」を使ったと推察される場面

織田信長は戦国時代の覇者で次々と当時の常識を破る改革を実施し成功に導いています。

普通の戦国武将とはビジョンが違っていたので、たいていは周囲にも理解されず反対にあっていたので、「絶対は絶対にない」という言葉を使う場面は多かったと考えられます。

織田信長が育ての親を殺しても兵を金で雇う戦略を貫いた場面

織田信長は父親の織田信秀から家督を継いだ際、津島の河港を含んでいる領地を得たので金が入ってくる状況でした。

常識では、入ってきた金は各地の城主や豪族に分けて気持ちをつなぎとめ、いざ合戦となったときに有力な百姓兵をたくさん連れてくることを期待するものでした。

織田信長は金の流れを変え、兵を雇うことに費やします。

当時は誰も彼もが何らかの組織に入っていたため、金で雇える兵というのはそのへんのゴロツキや牢人ばかりでガラが悪い人間がほとんどでした。

織田信長が金で雇った兵を住まわせた「小屋」は悪臭がただよい賭博の声がしてきたそうです。

これに対して育ての親である「平手政秀」は猛反対し、

「訳のわからないゴロツキを雇っても戦の役には絶対たちません。兵が頑張るのは戦が終わって地元に帰ったときに、臆病者と言われたくないから頑張るのです。」

と諫めます。

織田信長は善意と忠臣で言ってくれた平手政秀に切腹を言い渡します。

それほどまでに、織田信長は金で雇う兵で作る軍団の可能性を見出していたからです。

このときに、「絶対は絶対にない」と育ての親である平手政秀に言っていた可能性がありますね。

参考記事:織田信長の軍事改革【兵を金で雇う】ということ

織田信長が桶狭間で今川義元を伐った場面

織田信長が桶狭間の戦いで今川義元に勝利できたことで、天下統一へ大きく進むことができたのは有名ですね。

その桶狭間の戦いにおいて、織田信長がまたも重臣たちの言うことを否定して自分のビジョンを語ります。

それは、周りはすべて敵に囲まれている中島砦に入った2000人の兵たちに対しての大演説でした。

「今川義元側は夜通し行軍し疲れている。こちらは気力体力は十分。敵の武器などぶんどらずに合戦に勝つことに集中しろ!合戦に勝てば、末代まで胸を張れるぞ!」

このとき、重臣たちは「周り皆敵」の状態で戦をさせぬよう織田信長に説得していましたが、聞き入れずに行った大演説。

このときも「絶対は絶対にない」と兵たちを鼓舞したかもしれません。

参考記事:織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破る大金星を上げた3つの理由

「絶対は絶対にない」まとめ

織田信長の名言「絶対は絶対にない」はいつどんな場面で言われたかはっきりしませんが、上にあげた2つの場面などで使われた可能性があります。

それ以外にも、織田信長は大革命家として次々と新たな事業を起こします。

戦に関係していない部分でも「楽市楽座」「茶の湯を武士に普及させる」「交通を妨げる関所の廃止」などまだまだあります。

どの場面でも「絶対は絶対にない」と周囲に伝えていたのではないでしょうか。

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