織田信長の生涯

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織田信長が城を【転々と移す】ことができた意外な理由

織田信長と城

織田信長は生涯で居城(きょじょう:普段住む城)を5つも転々と渡り歩いています。

その理由は「次に攻めたい場所に近いから」という簡単で合理的な考え方がほとんどです。

織田信長の名言の一つに「攻撃を一点に集約せよ、無駄な事はするな!」というものがありますが、まさに【攻撃】を第一に考えた居城移転だったと考えられています。

織田信長と城(居城)

なぜ織田信長以外の戦国大名は居城を移せなかった?

武田信玄

photo credit: Jackson Boyle via photopin cc
普通の戦国時代の武将は居城は生涯変わらない場所としています。

それは移したくても移せなかったからに他なりません。

例えば武田信玄は生涯「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」を居城としていましたが、この場所は上洛を考えるとあまり便利な場所ではありませんが、居城を変えていません。

戦国武将が生まれ育った場所に居城を構え、居城を変えない理由の一つに「家臣の豪族(武将)が地域に根ざしていたから」です。

家臣の多くは戦国大名の居城近くの領域を任されていて、戦の際には自分の領域の百姓を参加させます。

専業武士と百姓の割合は、だいたい1対9と言われているほどで、戦国時代の戦の多くが百姓兵に頼っていました。

百姓は戦国大名のために戦に出るのではなく、自分たちの村落を治めていた「豪族(武将)」の元に集まって戦に出たため、戦国大名としても居城を移転してしまうと家臣である豪族たちと離れることになり、意思疎通できないことを危惧したはずです。

戦国時代は下克上の時代だったので、家臣とはいってもいつ襲ってくるか分からない存在ですので、自分の目が届かない場所で勝手に動けるような環境をわざわざ提供する戦国大名はいませんでした。

そのため、居城を移すという暴挙に出ることはなかったのですね。

なんで織田信長は居城を移せたのか?

織田信長が居城を5回も移した理由は、次に攻める場所にとって一番良い場所だという合理的な理由からです。

ただ、戦国武将が居城を移せなかった理由として「家臣を遠くに置いておくことができない」ということがありましたが、織田信長は何故大丈夫だったのでしょうか?

これは、織田信長が「金で兵を大量に雇っていた」ために、百姓兵に頼る必要がなかったからです。

戦の際に百姓兵を使わなければ、豪族が地元に居続ける理由がなくなり、領地を治めつつ武将として働かずに「専門武将」として織田信長に従うことができました。

逆に、織田信長としては先祖代々の土地の豪族として影響力が強かった豪族(武将)を地元と引き離すことで「むほん」の可能性を下げることにも成功したと考えられます。

まとめ

織田信長は居城を移せたことは、単にそれまでの慣習にとらわれなかったから実現できた訳ではなく、兵を金で雇う軍団を作っていたから実施できた施策でした。

織田信長の凄いところは、全ての施策が点ではなく線や面でつながっているところだと感じます。

兵を金で雇う軍団を作ったのは合理的に戦を進められ、百姓兵を使わないので家臣である武将が地元から離れることを可能にした。

そのため居城を移すことができ、むほんの危険性を下げながら攻撃を最優先した場所に拠点を作れたのです。

 

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