織田信長と歴史

織田信長の「天下布武」朱印状、群馬県内で初発見<ニュース>

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天下布武

織田信長の「天下布武」朱印が群馬県内で初めて見つかり、群馬県立文書館(群馬県の歴史的な文書を収集、整理保存し、閲覧利用してもらうための施設)の期間限定展示会の目玉になっています。

織田信長の朱印状がなぜ今頃見つかったのか?

群馬県立文書館は2014年1月14日から2014年3月30日まで展示している「戦国時代の古文書 信長・秀吉・足利義昭」という展示を群馬県立文書館にて行っています。

織田信長が使用した「天下布武」の印判が入った朱印状と黒印状が展示の目玉となっています。

織田信長の朱印状とは

織田信長は自信が発給した文書の内容が嘘でないことを保証するため、花押(かおう)か印章を押していました。

印象は花押(かおう)に比べて失礼な様式で、織田信長は自分の領地内の文書にのみ印章を使っていましたが、地位が上昇するに伴い、ほかの戦国大名とのやりとりにも印章を使うようになっています。

1570年代以降にはほとんどの場合に印章を使うようになっています。

朱印状とは、印章が押してある文書のことですね。

織田信長が印章に利用した「天下布武」とは?

天下布武とは、天下に号令する意思を示した言葉で、沢彦宗恩(たくげんしゅうおん)という僧侶により「天下布武」という言葉が選ばれました。

織田信長が天下布武の印章を用いたのは1567年とされており、これは美濃の斎藤龍興を討った年とつながります。

この頃から織田信長は上洛への足がかりをつかみ、1568年に足利義昭を擁して入京することになります。

織田信長が「天下布武」の印象を押した文書は現在でも650通ほど現存しており、今回群馬県立文書館で展示されている朱印状は物凄く珍しいものではありません。

家宝を整理、点検していたらたまたま見つかった!

織田信長の朱印状が見つかったのは、前橋藩主松平家の家臣だった家に伝わっていた文書を整理、点検していたところ印判が見つかったということです。

たまたまですが、織田信長を知ることができる歴史的財産である貴重な朱印状が適切な状態で保管されていたのは素晴らしいですね!

織田信長の朱印状は誰宛だったのか?

朱印状、黒印状ともに本願寺宛とのことです。

朱印状は1576年の日付が入っており、「和睦したので末寺などが不穏な動きをしないよう」命令しているものです。

黒印状は太刀や馬が献上されたことに対してのお礼状だったようです。

1576年というと、安土城の築城がはじまった年で、織田信長の力が最高に高まっていた頃ですね。

参考記事:織田信長の年表で見る天下統一への展望

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