織田信長と歴史

織田信長と歴史の不思議:織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人はなぜ東海地方出身なのか?

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織田信長歴史2

織田信長が天下統一をほぼ成し遂げ、豊臣秀吉が後を継ぎ、徳川家康が江戸幕府を開きました。

3人は生まれたときの身分や性格もかなり違いますが、みな東海地方出身ということは共通しています。

単なる偶然なのでしょうか?

織田信長の快進撃は場所が良かったこと?

戦国時代に天下をとるための重要な場所は京でした。

いまは地方から東京に向かう事を「上京」といいますが、戦国時代には京に向かうことを「上洛」といって目指す場所でした。

織田信長をはじめ戦国大名たちが京を目指した理由は、「朝廷を倒す」ということではなく、その権威を利用して天皇の名において天下に号令をかけ実質的な権力を握るというのが、戦国時代の天下取りでした。

さらに、京は当時世界的に見ても大きな商業都市であり、人とモノが集まる場所でした。

京を手に入れられれば、経済の中枢(ちゅうすう:中心的な役割)も一緒に手に入れる事ができるので、みな「上洛」を狙っていたのですね。

東海地方は京に近い?

織田信長たちよりも京に近い有力な武将はいましたが、朝廷や幕府の無力さを知りすぎていたために(?)朝廷や幕府を利用して天下を取る、という考えにならなかったようです。

さらに京の周辺では商人も農民も情報を豊富にもっていたため、領主のいいなりにならなかった部分が多かったようです。

そのため、戦国大名が戦のために富を蓄えることが難しかっただろうと想像できます。

一方で、京から遠い場所に領地があった戦国大名には、十分な情報が伝わらず、産業が十分に発達していないために戦をする財力が蓄えられていなかったと考えられます。

東海地方は、少し離れていたのでそこまで情報が伝わらることはなく、経済もそこそこ豊かだった場所でした。

もちろん、織田信長が「楽市楽座」を普及させたり、南蛮からの技術を取り入れたりできたことが経済の発展を生み戦に勝てる戦力を養えたので、他の戦国武将が織田信長と同じ場所を領地としていても、天下統一ができたとは思えません。

ただ、東海地方という場所が戦国時代に恵まれた場所の一つだったのは間違いなさそうですね。

参考資料:戦国地図帳

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