織田信長の年表

織田信長の年表で見る天下統一への展望

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織田信長の年表

織田信長は元々織田家の領地である尾張から居城を転々とし、天下統一への足がかりを進めていきました。

室町幕府とも接触し、足利義昭が将軍となるために尽くし無事に将軍とさせることができた織田信長は上洛を果たしますが、、

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織田信長の年表から見る天下統一への足取り

織田信長の代表的な出来事をまとめた年表

  1. 1534年 織田信長、尾張の那古屋城で生まれる
  2. 1551年 織田信秀が他界したため家督を継ぐ
  3. 1555年 清洲城を奪い取り、清洲に居城を移す
  4. 1559年 織田信長が足利義輝と謁見する
  5. 1560年 桶狭間の戦いで、今川義元を破る大金星を上げる
  6. 1563年 小牧山城を築城し居城とする
  7. 1564年 足利義輝から織田信長は御内書をもらう
  8. 1565年 足利義輝が暗殺される
  9. 1565年 近江に逃れた足利義昭と織田信長が接触
  10. 1567年 稲葉山城の戦いで斎藤竜興を追放し、稲葉山城を奪い取る。岐阜城と改め、居城を移す
  11. 1568年 足利義昭を奉じて上洛
  12. 1569年 織田信長は「殿中掟」を定め、足利義昭の行動を制限
  13. 1570年 姉川の戦いで、朝倉・浅井連合を破る
  14. 1570年 織田信長は足利義昭に「五か条の上書」を認めさせる
  15. 1570年 石山合戦がはじまる (1580年まで)
  16. 1571年 比叡山を焼き討ち
  17. 1572年 織田信長は足利義昭に「異見十七か条」を通告し、両者の決裂が決定的となる
  18. 1573年 足利義昭を追放し室町幕府が滅亡する
  19. 1574年 伊勢長島の一向一揆を殲滅する
  20. 1575年 長篠の戦いで武田勝頼を破る
  21. 1575年 越前の一向一揆を殲滅
  22. 1576年 安土城の築城を開始する
  23. 1577年 安土城に移る
  24. 1578年 荒木村重が謀反をおこす
  25. 1580年 石山合戦が終結する
  26. 1582年 武田を攻める。武田勝頼自害により武田氏滅亡
  27. 1582年 本能寺の変 明智光秀の謀反により自害

織田信長の年表から見える天下統一に向けた戦略

ほとんどの戦国武将が生まれた土地から居城を移さないのに対し、織田信長は生涯で4回も居城を移しています。

その理由は次に攻め入る場所を常に考えながらのものでした。

安土城はまわりに何もない場所でしたが、琵琶湖を通ればすぐに京に行く事ができ、北陸の一向一揆と摂津の石山本願寺を分断出来る場所だったため築城したと言われています。

常識にしばられず、実利をとっていた織田信長らしいエピソードですね。

足利義昭と織田信長の関係性

足利義昭が将軍となるためにサポートした織田信長は、絶大な信頼を足利義昭から得る事が出来ました。

ところが、将軍の伝統的な権威だけを利用したかった織田信長と、将軍の権威を取り戻したかった足利義昭との間には大きな壁がそびえ立ち、織田信長は16か条にもわたる「殿中掟」を制定し、将軍の行動を制限することとなります。

この後も関係性は改められず、1573年に室町幕府は滅亡するのでした。

まとめ

この年表でみるだけでも織田信長が行った内容の濃さが分かりますが、これ以外に経済の発展にも尽くしており、天下統一のために同時多元的に活動していた事が分かります。

改めて考えると、織田信長はスゴい戦国武将ですね。

 

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