織田信長の生涯

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【前田利家】織田信長の部下として槍で大活躍の武将

前田利家

前田利家(まえだとしいえ)は「天下第一の槍」と言われた武将で、最終的には加賀100万石を豊臣秀吉から与えられた大名です。

賎ヶ岳の戦いでは元上司の柴田勝家と家族ぐるみでつきあいのあった豊臣秀吉との間で揺れ、結局戦に参加したものの戦いをしなかったエピソードの持ち主です。

加賀100万石を与えられた前田利家とはどんな武将だったか

大うつけ者の前田利家

若い頃から織田信長に仕えた前田利家は、織田信長と同じくらいの「大うつけ者」と言われていました。

派手な服装を好み、誰かれ構わずけんかをして歩くような荒くれ者だったからです。

織田信長は一本気で裏表のない性格だった前田利家をかわいがり、母衣衆(ほろしゅう)という織田信長の側近軍団で赤の筆頭として頭角を現します。

大河ドラマでは「利家とまつ」という表題で主役となった前田利家の妻まつは、母が前田利家の実の母の姉で、前田利家とは従兄弟同士です。

まつは若干12歳のときに22歳の前田利家の嫁となりますが、社交的で読み書きそろばん、武芸もたしなむほどの女性だったそうです。

前田利家が織田信長に勘当される

そんな幸せな結婚をした翌年、前田利家は織田信長がかわいがっていた茶坊主を斬ってしまいます。

このことで織田信長の逆鱗にふれた前田利家は、織田軍から出ることとなり、牢人生活を送ることとなりました。

1560年に桶狭間の戦いが起こると、前田利家は単独で勝手に参戦し手柄をあげます。

それでもすぐには織田信長の元に帰ることは許されず、翌年になってやっと織田信長に許され戻ることになります。

天下第一の槍と言われた前田利家

前田利家は数々の戦いで功績をあげますが、特に1570年の姉川の戦いでは長さ6m以上の槍をふるい大活躍しました。

これを喜んだ織田信長に、「天下第一の槍」と絶賛され、前田利家の名は広くしられることとなりました。

さらに、大坂本願寺との11年にわたり繰り広げられた石山合戦、長篠の戦いで功績は素晴らしいものがあり、上杉謙信を抑え北陸を攻めるための司令官となった柴田勝家の元で、府中城を任され三万三千石の大名となったのです。

その後も能登で活躍した前田利家は23万石の領地を得るまでに出世します。

悩みまくった賎ヶ岳の戦いとその後

本能寺の変により織田信長が討たれると、豊臣秀吉(羽柴秀吉)と柴田勝家の間で織田信長の跡目争いが起きます。

賎ヶ岳の戦いでは、前田利家は元上司である柴田勝家と、家族ぐるみでつきあいのあった豊臣秀吉の間でゆれますが、柴田勝家につきます。

ところが、前田利家は戦の途中で急に撤退をはじめ、その結果柴田勝家軍は総崩れとなり戦に負けます。

柴田勝家に恨まれて当然の状況でしたが、柴田勝家は前田利家に対し感謝の言葉をかけ、上下の関係を解きます。

これにより前田利家は豊臣秀吉と和睦することができるのですが、柴田勝家の人格の素晴らしさが際立つエピソードです。

その後の前田利家は、加賀・能登・越中に100万石の領地を得て豊臣秀吉を支える5大老という重要な立場に立ち豊臣秀吉を支えました。

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